礼和創り

人と人との礼を大事にし、和を育てていきます

性欲の解釈3つとそれぞれの結論

1,アダムとエバがエデンの園で善悪の知識の木の実を食べたことについて、現実的にまた理論的に見て、3つの解釈が存在する。3つとも二人の行為は性交を意味しているという観点で説明する。
・教会的解釈:アダムとエバは、神から禁止されていた善悪の木の実を食べたことによって、心身に罪と死が入った。それは子孫そして人類全体を罪と死に追いやった。(性欲は罪)
・唯物的解釈:性欲は自己保存のため必要な根源的欲求。善悪の知識は、天地を支配し人間社会を維持発展させるための手段。神の存在は不要。(性欲は善)
・論理的解釈:性欲は、愛を育成することも害悪を生み出すこともできる。神は、霊的に未熟な人間に愛を教えることができず、害悪に対する警告のみを与えた。(性欲は愛も罪も生む)
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アダムとイブの罪

1,神である主は、…園の中央にいのちの木を、また善悪の知識の木を生えさせた。
 *教会ではこの「木」を科学的な木と捉え教えている。しかし、それを科学的に探そうとしてはいない。
 *私が彼らに例えで話すのは、彼らが見てはいるが見ず、…悟ることもないからです。(マタイ13:13)
 *木は人の生命に必要なもの、いのちの木は人の霊的必要の中心、善悪の木は肉的必要の中心…。

2,しかし、善悪の知識の木からは、食べてはならない。その木から食べるとき、あなたは必ず死ぬ。
 *「木」は「見るからに好ましく、食べるのに良い」。つまり、神は人にそれらへの欲求も与えた。
 *しかし、善悪の木は食べる判断を神に従う必要があり、欲求による誘惑に対して警告が与えられた。
 *…罪はあなたを恋い慕うが、あなたはそれを治めなければならない。(創世記4:7)
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パン種に用心しなさい

以下は、坂野桂吉氏の著書「創世記」の記述についての考察である。
1,創1:3は、神が「光がある」と仰せられた…すると「光がある」、と訳すことができる…
 これは神の言葉・霊とその実行は一体であり、言語的表現や伝達距離はないことを示唆する。
 すると、神が人間の言葉を話すのではなく、人の霊が得た情報を自分の言葉で表現している。

2,「第一日」というのは、二十四時間と考える説や、一定期間と考える説…  このように聖書の記述を正しく理解しようとしてできないのが人間の能力の実態である。
 この言葉は「人の霊が見ていて、昼が過ぎ夜が過ぎた。一回目。」というだけの意味。
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男女の性とジェンダー

基本的な男女関係
0,両親:父と母の役割の違いの認識、男と女の違いの理解
1,片思い:自己理解、自他の心情の理解、気遣いのやり取り
2,交際:相互の気遣いの受容、行動や体験の共有、感情の増幅
3,婚約:生活や人生の共有の意思と決心、肉体的な所有関係の受容
4、結婚:一心同体の社会的な意思表示、社会的権利と義務の発生
5,新婚生活:両親からの自立と生活の協力、性的な喜びの共有
6,出産:愛(精神)が子(物質)の生む(創造)恵み(感謝)の体験
7,子育て:子(物質)を養育し自立(精神)を支援する創造の営み
8,性教育:人の成長には、父と母、男と女が必要であることを教える
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愛の方程式

1,現代:商品の生産と流通の大規模化が進行(資本主義経済)
 大企業による大量生産大量供給で、世界中の消費需要を満たす。
 資源の乱獲や争奪戦、国家間の経済的紛争、権力者による専制や圧政、環境破壊を招いている。

2,直接民主制的行政システムの採用  自治体の行政に住民の意思が正しく反映されるよう、選挙においては記名投票を採用する。
 政治家を置かず、住民自ら事業案、予算案を議会に提出し、自ら審議投票採決する。(住民の自律)
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お金と愛の流通

1,Aさんの米とBさんの魚を物々交換する(力関係A=B)
 権力/それぞれの所有権とその異動を保障する(権力なしでは闘争誘発)  信仰/相手の必要を満たそうとする愛、愛を受ける感謝(現在は希少価値)

2,領主Aが領土を守り、領民Bが年貢を納める(A>B)
 権力/領主による統治力が、領民の生産物で贖われた(領主間の闘争へ)
 信仰/神様の支配を信仰認識すれば、民族愛が領土を守る(預言者の時代と類似)
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聖書の解釈、科学の解釈

1,「聖書+科学」の解釈と体験の例: 教会の本を休会のため返せず。「御心は?」 → 聖霊「その本を読みこの題で書け!」 → 肉的欲求ではなく聖霊に耳を澄ます人生。 (2022.1.16.Sun/本:坂野恵吉著「創世記」/題:上記)
2,「彼らをよく知りたい」とは、同性愛を意味している(p238)。という聖書解釈は、「人はその妻エバを知った」の「知る」は性的な関係を結んだという意味である(p94)。という箇所からきている。「知る」は性の関係が単に肉体の結びつきではなく、人格(霊)の関係であることを意味する…。と、ここまで解釈ができているなら、「善悪を知る」「裸であることを知る」も性的な行為の結果であという解釈をするのは容易なはずである。ユダヤ民族が割礼の儀式を固く守ってきたのも、そこに信仰の根源があるからである。しかし教会は、「善悪の知識の木から食べる」は「科学的植物の木」であるという解釈を固持している。「あなたがたには天の御国の奥義を知ることが許されていますが、あの人たちには許されていません。」(マタイ13:11)
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聖霊とその役割

1,聖霊理解のための仮説の手法 科学には「仮説」という論証の仕方がある。真偽はともかくとして、何らかの現象や法則性を説明するのに役立つ命題のこと。事実・観察などによる検証を通じて、事実と合致すれば定説となる。
例えば、「光は波と粒子の2面性を持っている。」というのは、光と波と粒子という既存のモノまた言葉の関係を表したものであるが、この関係性・命題が正しいかということは、仮設として提示され、実験と観察によって検証されるべきものである。
教会における聖書のように「正しい」を前提としたりしない。逆にいうなら、聖書の言葉は「仮説」と捉えてその正しさを検証するという科学的手法も可能である。
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